高校の頃、世界史や現代社会といった科目が大好きだった。それで、大学では社会学を専攻した。
特に興味をもったテーマは、卒業後の自分とダイレクトに繋がる「働くこと」。そこに紐づく、社会制度や企業のマネジメント、リーダーシップ。企業で働く大人とたくさん出会い、実際にいろんな職場で働いた。誰かに貢献できるのは楽しいし、学んだことを現実に取り入れた時に起こる変化も面白かった。今も、働くこと自体が刺激的だ。
しかし、私がそうやってリアルな社会に夢中なとき、大学の先生からはなんとなく冷ややかに見られていた気がする。「大切なのは社会制度そのものを疑うことだよ。そのためには、今の現実を見るだけではなく、今は縦横の幅広い知識を学ぶんだ」と。確かにそうだ。
でも、大学生は就職活動をする。文系にとってアカデミックで学んだことと実務はなかなか折り合わない。労働の問題点を指摘しつつ、労働の世界に入り込もうと必死になる。その中で、揉まれてしまう。実家から経済的にも独立したかった私は、素直な気持ちで現実的な働き口を探すことを優先した。働くことを疑わず、順応した。
そうやって現実の方を選んだから、アカデミックな知識を持ち合わせる知識人・教養人へのあこがれは捨てれない。たとえば、詩歌や漢文などの古典知識などへの造詣が深い人の話を聞くと、こころがちくっとする。いいな、現実に染まらずにいられて。なーんて。
でも、何年か働いた今は思うのは、やっぱり私は現実社会のほうが好きだったのだ、古典よりも、リアルな社会の学びを面白いと思っていたのは間違いない事実なのだ。
これは、何オタクなのか? 好きなアイドルが誰か?と同じくらい、個人的な趣味趣向に過ぎない。だから、今の選択でよかったんだと思う。自分がよいと思う生き方へ繋がる一歩になれる気がする。その前提として、自分の好きな世界を卑下しないことだ。
その一方、働くという現実だけに閉じ込められるのに疲れたとき、アカデミックや教養の世界に触れられるのはいい逃げ道になる。どんな些細なことでもいいからアカデミックと実学の世界をつなぐ、ブリッジ的存在をもっておくのはいいと思う。