終わりがあるから美しい

終わりがあるから美しい 過ぎゆく時をいつくしむ

ああ、この身は終わりのない 旅をしつづける

「哀しみのバンパネラ」(ポーの一族)

宝塚歌劇で花組公演『ポーの一族』の中で、主人公のエドガーは永遠の命を生きるバンパネラになってしまったことへの哀切を、こう歌う。初めて聞いたときは、あまりの衝撃に数日間何度も聞き返した。

学校生活が青春なのは有限だからだ。限られた大学生活だったから、必死に時間をやりくりして、やりたいことはすべてこなした。

一方、社会人になると、途端に無限に時間がつづくような気がしてくる。けれど、実はそんなことは全然なくて、本来、ほとんどのものは有限である。忘れているだけで案件にも人間関係にも終わりはあるのである。

それはふとした時に、現れる。なぎなたを一緒に練習していた人が、急に転勤することになった。お稽古できる機会はもう数えるほどしかなかった。唐突に訪れる終わりの合図の前に、その長く終わりのないように思える時間の中で、どうやって有限性を意識するのか。

宝塚歌劇団にヒントを見出した。周年企画だ。2023年は劇団全体としてはプレ109年であり、宙組誕生35周年であり、雪組誕生プレ100年である。ちなみに、去年は専門チャンネルである「タカラヅカ・スカイ・ステージ」の20周年だった。

なぜかファンも周年については非常に感度が高く、私もよく覚えている。これは歌劇団が意識していることなんだと思う。ただでさえ、スターの入れ替わりもあるのだが、長い歴史があるからこそ「記念」や「今しかない」を大事にしている。多くの人が30歳を節目にするようなものだ。

社歴が長い会社も、同じように社員は入れ替わっていく。ライフステージと同じように、会社も周年を意識してステージを変えていくのは、会社の空気を間延びさせない一つの方法なんだろうと思う。

私は変化が好きだ。性格上はある程度、同じことを続けられるけれど、そのうち飽きてしまうから、学校生活と同じくらいの数年単位ではなにか大きな変化がほしい、刺激がほしい。だから、会社が変化の機会をくれることはものすごくありがたい。もちろん、寂しさもあるけれど、それ以上に直感的にはワクワクもする。

忘れてはいけない。有限なのだ、無限なんてないのだ。

有限会社ノオト所属の編集者・ライター/ コワーキングスペース「Contentz」管理人。 テーマは働き方・学び方・メディア・朝ごはん など / 休日は喫茶店と東京宝塚劇場をうろうろ