目標は「達成したか?」だけじゃなく、「そもそも本当に良い目標だったのか」を振り返ったほうがいい。

2015年も、とうとう最後の日。
今年の振り返りをしていると、SNSや会話の中でよくこんな感想が聞こえてきます。

「そういえばあれをやろうと思っていたのに、できなかった。成長したのかな」
「そもそも、毎年目標って忘れちゃう…」などなど。

かくいう私も、「もっとブログ書こうと思ったのに…」「軍艦島に行くって決めていたのに…」など、振り返るとついついできなかったことを考えてしまいます。

しかし、そもそもその目標は、あなたにとって良い目標だったのでしょうか?

目標そのものの達成度ではなく、まず目標が妥当だったかどうかも考える。

妥当だったかを考えるとは、つまり「そもそも、その目標は正しい目標だったのか?」を評価することです。

例えば、2015年の1月に私が、目標設定として、2015年版100のやりたいことリスト(参考:作るだけでも価値がある「今年やるべき100のリスト」)を作成しました。

100のやりたいことリストだけで言えば、私の今年の目標達成率は、30%です。(元記事でも達成度は30%で良いと書かれておりますが。)

それえは、なぜ70%を達成できなかったのかというと、「目標の妥当性が低かったから」、つまり「あまり良い目標を多く設定できなかったから」です。

良い目標を設定できない3つの理由とは?

実際に、自分を例にどうして妥当性の高い良い目標を設定できないのかを考えたところ、大きく3つに分かれました。

1.目標を設定の際に、2015年に起こることがイメージできていなかった。(現状把握のための情報収集の甘さ)
この目標を立てたのは2015年の1月でした。
当時、私はまだマレーシアに住む期間限定ニートを楽しんでいる頃で、実際に仕事でどういうことをするのか?また、実際に東京に引っ越してどういう生活をするのか?をあまりイメージできていませんでした。

例)夕飯を毎日3品以上つくる
→あまり社会人のリアルなライフスタイルが理解できていなかった。

2.1年で達成することの理想が高すぎた。
どうしても新年に目標を立てると、365日への期待が大きくなってしまって、今の自分が1年間でできること、できないことに関わらず目標を立ててしまいました。

例)週1で、運動をする。
→そもそも、現在ドクターストップで激しい運動や捻る運動はNG。達成するために超えるハードルが高すぎた。

3.目標には入れたものの、本当に絶対に今年やりたいことではなかった。
なんとなく目標としたけれど、別にそこまでやりたくはないことというのも、目標としてあげてしまっていました。

例)小説のコンクールに応募する
→長い将来の中では絶対にやりたいけど、今年重視したいテーマではなかった。

理想は高くても良いけど、達成したいなら「妥当性」を考えたほうが良いのではないか。

理想が高いのは、とても素敵なことです。

しかし、本当に目標を叶えたり、目標達成を目指したりするためには、できるだけ妥当性の高い、つまり「達成することが可能かつ、達成したときに自分にとって価値がある目標」を設定することは重要です。

目標設定の形は、「一年の抱負」や「今年のテーマ」など、なんでも良いと考えています。私は、100のやりたいことリストの形が個人的に気に入ったので、今年も作ろうかな、と。

しかし、せっかくならば、振り返りや新しい目標を設定するときに、「昨年の目標の達成度」だけではなく、「そもそもの目標の妥当性」について振り返ってみてはいかがでしょうか?

最後になりますが、2015年もブログをお読みくださり、誠にありがとうございました。
2016年も、引き続きよろしくお願いいたします!

有限会社ノオト所属の編集者・ライター/ コワーキングスペース「Contentz」管理人。 テーマは働き方・学び方・メディア・朝ごはん など / 休日は喫茶店と東京宝塚劇場をうろうろ