過去のホーム、今のホーム

久しぶりに両親の住む家に来たら、お風呂の給湯器の使い方を忘れていた。こんなインフラの使い方も忘れてしまう程度に、ここは今の私にとっての「ホーム」ではすでになくなっているのだな、と思った。正確に言えば、私がこの家を出てから数年の間に交換されているから、ほんの数回しか使っていないのだが。

いつの間にか変わっていく、駅・街・道。学生時代までここに住んでいたので、20年近くは見ていた景色のはずなのに、ほんのちょっとの変化に驚くし、知らない場所のように感じる。

つまり、人が「ここはホームだ」と感じるのは過去にいた長さではなく、今どこにいるかで決まるもので、どんどん更新されていくものらしい。

自分でホームを選べないときはたいてい、足りないものとか、不満ばかりが目につくものだ。だけど、いざ離れてみると、割とするっと縁は切れ、居場所ではなくなってしまう。そうして他の場所に行くと、元いた場所の良さも見えたりする。

だけど、ホームがホームである時間は永遠じゃない。一生、同じ場所に住むことはない。つまり、今住んでいる街にいる時間にもいつか終わりが来る。畢竟、今の自分の最新の居場所のいいところを見つけ、愛し、よくしていくことってやっぱり大切なのだ。ありきたりだけど、今を大切にするというやつかもしれない。

複数の居場所をもつのが大切というけれど、もし数を増やすとなると、同時にたくさんの場所、人と縁を保ち続ける必要がある。関係をきちんと維持するのはなかなか大変だ。せいぜい、家、仕事場、趣味の3つくらいしかメインの居場所はもてないのかもしれない。

もちろん、薄めの縁をたくさんつないでおくというやり方もあるけれど……。思えば、ホームという存在は結構、水物なのかもしれないね。

有限会社ノオト所属の編集者・ライター/ コワーキングスペース「Contentz」管理人。 テーマは働き方・学び方・メディア・朝ごはん など / 休日は喫茶店と東京宝塚劇場をうろうろ