観劇を趣味にしている人の間で、時折、上演中にスマホを鳴らす人への苦言が呈されている。
そりゃあ、そうですよね。名シーンで急にアラームやら着信音が鳴り、それを止めるために隣の人がスマホを操作しはじめたら、もう気が散って仕方がない。私などは、うっかり電源の切り忘れがないか?のほうにドキドキしてしまうこともあるくらい。
なぜ、電源を切らないのか?は長年の謎でしたが、実は観客の中に「そもそも電源の切り方を知らない」人が、一定数いるらしい。なるほど、それは盲点だった。なので、最近は「電源の切り方がわからない方はスタッフまでお声掛けください」といったアナウンスが流れるようになっている。
仕事や家事も、これと同じかもしれない。例えば、共有スペースのコーヒー豆や台所の液体洗剤の補充。もしかしたら、豆の置き場がわからないのかもしれないし、適正量がわからないんかもしれない。どの液体洗剤が正解で、どうやって注げばいいのかがわからないのかもしれない。
コミックエッセイ『料理は妻の仕事ですか?』の第5話では、料理をしない夫がうどん一杯をつくるのにも苦戦するのは、スーパーの食材選びの時点で判断することが多すぎて、買い物だけで初心者はぐったりになるという指摘が描かれている。
https://www.comic-essay.com/read/433/entry-29418.html
「わからないなら聞いてくれ」と思ってしまうのだが、多分、最初はわからないこともわからない。そして、「やらない」ままで時間が経つと、他人に聞くのは今更……という気持ちになりハードルが上がってしまう。その結果、何か困りごとがあっても見て見ぬ振りをしたり、そもそも気づきもしないという人が生まれていくのではないだろうか。
さて、ではこの現象を防ぎたいと思っている立場(上記のコミックエッセイならば妻側)は、どうすればいいのか。
まず、第一に「常識」は存在しない、を頭に叩き込まないといけない。そして、第二に相手が誰であれ、期待しすぎないこと、そして第三に相手を萎縮させたり、学ぶ意欲をそがないことだ。
例えば、長く会社に勤めている相手に対して、きっとこういうことまではできるはず、わかるはず……という期待があったとする。
しかし、今まで別の仕事をしていて異動してきたばかりだとしたら、異動先のルールには知らないことが当然たくさんあるだろう。社内ですら、「常識」は全く異なるはずだ。だったら、勝手な自分の頭の中の理想像は捨てないといけない。目の前にいる人が体現していることだけが事実なのだ。ここから、やる気を持ってもらわないといけない。
正直、気を長くもつのは大変なことし、根気がいる。なんで、こちらがそんなコストを……を思う気持ちもわからなくはない。が、ゴールはルールを守った円滑な運営であり、「やらない」のは悪意があるからではない。自戒、自戒。