「言わなくてもわかってくれる」を手放したい

日常生活をなかで、他人に対してすくなからず期待をしていると感じることがある。ちょっと相手を助けたらお礼を言われる、パートナーならつらいときにはきっとわかってくれる、とか。

特に日本には似た者同士が多いから、仕事でもこういう圧があるかもしれない。個人的に気になるのは仕事よりも、プライベート。特に関係が近いほど阿吽の呼吸を期待する。共有している背景や文脈が多いから、「きっと分かってもらえる」という思いがある。

けれど、同じ状況にあっても感じることは、その時々でぜんぜん違う。感情をもつ主体も前とは変化しているのだから。だから、私の本当の気持ちは言葉にしない限りは誰にもわからない。

親しい相手に、空気を読んでもらうことはきっと愛じゃない。だからこそ、「言わなくてもわかってくれる」を手放したい。

それなら言葉にすれば必ず伝わるかと言うと……。基本的なところはわかってもらえるようになるかもしれない。けれど、結局のところやっぱり「他人」だから。わかってもらえるのは、ある程度の限界があるじゃないかな。

「あなたは何も言わなくても、私のことをわかってくれる」。そんな気持ちはさっさと手放して、人類がもつ貴重な「言葉の力」をもっとつかいこなしたい。

それでも、弱っているときは、言葉を使うことを忘れて、態度の力や相手の空気読み能力に甘えてしまうことがある。そして、失敗したなと反省することもある。

結局、こういう小さい失敗に気がついて、繰り返さないようにするしかない。落ち着いて対応ができるように、自分自身の余裕率をできるだけ高めていくしかない。弱っている自分に最初に気がつくのは自分、ケアできるのも自分。

もし他人に同じことをされたら、「それはあなたの問題だよ」と心のなかで思えばいい。相手の機嫌を損ねないように、気を使って気を使って。そんなふうに空気を読むことは、きっと私とっては愛の形じゃないのだから。

大いなる愛、グランデ・アモーレを目指して。

有限会社ノオト所属の編集者・ライター/ コワーキングスペース「Contentz」管理人。 テーマは働き方・学び方・メディア・朝ごはん など / 休日は喫茶店と東京宝塚劇場をうろうろ