【感想】映画『殿、利息でござる!』〜「枠の中」から仕組みは変わるのか?〜

先日、韓国のアジア通貨危機を題材にした映画『国家が破産する日』を観た。アジア通貨危機そのものについて歴史の授業程度には知っていたものの、金融危機が起こると日常生活や企業、国家にどのようなことが起こるかは全く想像できない。作中で描かれる混乱ぶりにすっかり驚いてしまい、「経済」を題材にした作品に魅了されてしまった。

そこで、日本には似た題材のテーマがないのかと調べて見つけたのが、2016年公開の『殿、利息でござる!』(松竹)。完全にフィクションだと思っていたら、なんと実話だそう。邦画の経済映画とはどのようなもので、何をテーマに描かれるのか、ワクワクしながら見ることにした。

大きくちょんまげが寛永通宝になっているコミカルでインパクトの大きなポスター。

物語の舞台は、江戸時代。仙台藩が治める宿場町「吉岡」は、困窮にあえいでいた。その理由の一つが、お上(藩主)の荷物を届ける「伝馬」というお役目を町全体で担っていたこと。ここにかかる費用はなんと、お上ではなく町が負担しなくてはならなかった。その重責から住民の夜逃げも跡を絶たず、残った人々の負担は増え、自身の商いも滞るばかり。

そこで、一計を案じた主人公たちが考えたのが、一千両(=3億円)を集めてお上(仙台藩藩主)に貸し、利息を得て、伝馬の仕事にかかる経費をチャラにしようというアイデア。しかし、集めるところから貸すところまでさまざまな苦労があり……。

ただの時代劇・経済映画ではなく、親子や兄弟といった人情あり、人間の見えやプライド、嫉妬などお金をめぐるさまざまな感情を織り込んだコメディーなので、気軽に笑いながら見ることができる。そして江戸時代の地方の仕組みまで垣間見え、明治以降、そして最終的には現在の吉岡の様子まで紹介される。

本作の主題は、とにかく金を借りる側ではなく、利息を受け取れる貸す側になることの重要性だろう。お上という江戸時代には変えられない力に対して、経済の力を利用して立ち向かう。

最終的には、得た利息は「伝馬役」の仕事にかかる費用として街全体で使うことになる。それによって、町民の負荷が減り、本来の商いに集中ができ、経済が潤うというわけである。

しかし結局、よく考えてみると、お上の仕事にかかる費用を、お上自身に払わせただけのことである。この作品の顛末から、悪い仕組みを変える方法は、大きく2つの方向性があるのではないかと感じた。

1つ目は、直接的に権力と闘い、仕組みを壊すこと。例えば、クーデターのような反抗や、冒頭で主人公が挑んだような訴え(訴状の提出)である。しかし、命の危険が伴う。

2つ目は、与えられたルールの中で状況改善すること。本作では、いわゆる「既存の仕組み」であったカネ貸しという仕組みを利用して、論理的に通るように自分たちの救済を行った。良い点は、シンプルに咎められにくいこと。しかし、作中でも5年ほどかけて金を貯めたように時間はかかるし、場合によっては効果が大きくない。

本作の面白さは、「枠の中」で闘いながらも、最終的にはお上の仕事を町が負担する「悪い仕組み」を破壊に成功した点だ。

現実、この2つのやり方をするグループがそれぞれいる場合、思想が相容れないことも多いだろう。しかし、この物語のように中から枠を破壊する例を見ると、勇気づけられる。そういう仕組があれば、状況は変えられるかもしれない。時間がかかるが、テコの原理のようにぐっと世の中は動かせるのかもしれない、と勇気づけられた。

もう一つ、感じたことがある。日本では、結局とのところ金を動かすのも「心」ということだ。物語の中盤、主人公たちは元手になるお金集めに大変な苦労をし、後半にはお上にお金を借りてもらう道程に苦心する。しかし、それを解決したのは「損得感情」ではなく「心」。特に、親の残した心や教えであった。これは変化が速いこの時代にも、通じる感覚だと思う。

つらつらと書いてきたけれど、少なくとも、日本の作品で「カネを貸す」側がここまで好意的に描かれる作品は珍しい。

また、この話が映画になるまでには、この実話に感動した人々が、原作『無私の日本人』(文春文庫)の筆者・磯田道史さん、そして映画の制作陣に届くまで伝えあうという「感動の伝染」があったという。日本発の数少ない経済映画として、オススメできる作品だった。

有限会社ノオト所属の編集者・ライター/ コワーキングスペース「Contentz」管理人。 テーマは働き方・学び方・メディア・朝ごはん など / 休日は喫茶店と東京宝塚劇場をうろうろ