2021年正月に放送されたテレビ番組『100分de萩尾望都』。大好きな作品の紹介とともに、とても楽しみに見ていたのですが、触れられた作品の中で唯一読んでいなかったのが本作でした。
正確に言うと、1巻は読んだことがあったものの、あまりのストーリーのつらさにどうしても読みすすめることができなくなかったのです。
しかし、やはりあの話がどうなるのか気になる。もしかしたらショックを受けて2度目が読めないかもしれない。だがしかし、今回は思いきって文庫版全10巻を手にとることに。
読了後には、また一味違、萩尾望都先生の世界に足を踏み入れてしまった……と突きつけられました。「性的暴力」というテーマを含むため、読むタイミングには神経を払う必要がありますが、読んでよかった……と心から言える作品です。
この感覚を失うのがもったいないので、自分の気持ちを忘れないうちに言葉にします。以下、すべてネタバレあり、そして一読者の主観であることをご了承ください。
劇的な解決はない。ともにセラピーを受けるような気持ち
本作は、大きく3つのパートに分かれます。あえて、名前をざっくりつけるとしたらこんな感じでしょうか。
・グレッグによるジェルミへの加害、事故
・ジェルミの罪の告白、イアンとの対峙
・それぞれの影、ジェルミとイアンの回復の道程
前半はジェルミ主観だったのに対し、中盤以降はイアンの視点が増え、実は両者がこの物語の主人公だったことが明かされます。
ジェルミとイアンの関わりを通して、「加害」の様子を何度も、違う人の視点で再構成し、あの状況が持っていた意味や、それぞれの感情だったのが紐解かれていく様子は、まさに大きな傷をおった出来事から、現実を通し、回復の光を探る人生をともに歩んでいるような気持ちでした。
マンガを読んでいるだけのはずなのに、なぜか私自身が精神科の治療やセラピーを受けているように感じたのです。実際のところ、こういった治療を受けた経験がないので正確なことはわかりません。
しかし、萩尾先生の最長編作品をストーリーの長さをゆっくりたどる中で、主人公たちが過ごした時間を共有し、「赦し」や「救い」に触れたような気持ち、と表現するのが自分の中では一番近いのです。
どのキャラクターの気持ちもよくわからなくなってしまった
当作品はあらすじに、「サイコ・サスペンス」というジャンルだと描かれています。あまり聞き慣れないジャンルだったのですが、調べてみると、いわゆる「精神異常」の状態にあるキャラクターが登場するサスペンスのようです。
では、この「精神異常」なのは誰なのか。前半では、ジェルミに暴力を加えつづけるグレッグがまさに「精神異常」の当事者であるのは読者にとって明らかでしょう。
けれど、物語が進むにつれて、被害者のジェルミ、グレッグの息子であるイアン、はてにはジェルミの母親・サンドラ、イアンの恋人・ナディアをはじめ、主要人物のほとんどが「一般的に健康とはいえない精神状態」にあることが分かってきます。
特に作中でギャップが激しいのは、長身でハンサム、アウトローなところがあるのに成績優秀で教養深く、学校でも一目置かれる存在だったイアン。美しい恋人に恵まれ、裕福な家庭で育ちすべてを持ち合わせていた彼が、ジェルミに惹かれる中で崩れていく様子には衝撃でした。と、同時にイアンの気持ちがだんだんわからなくなっていきます。
大学受験を1年遅らせてでも、ジェルミを迎えにボストンへ行き、更生させるつもりで努力をするも、結局は彼を愛し、自らが禁忌を犯してしまう。「ジェルミを救いたい」という気持ちの中に絡み取られ、混乱するイアンの姿に、一読者も混乱していました。全然、気持ちがわからない。
けれど、同時に思うのです。もしかしたら人間ってそんなものかも?と。
私たちも、自らの行動が理解できなくなるときってたくさんあります。こういうことはしてはいけない、しないほうがいい。分かっていても、分かっていても止められない……。作中の各キャラクターの行動はまさにそのもの。止められない。
そういう意味で、もしかしたら「自分でも自分がわからない」という感情の中にうまくハマってしまったのかもしれません……。
連鎖する苦しみ、誰が断ち切るのか
私が泣いてしまったシーンの一つが、ナディアの母親・クレア自身が過去に受けた傷を告白した場面。登場時から、厳しくも甘い母親という読めないキャラクターだったからこそ、このシーンには衝撃を受けました。その告白はクレア・ナディア間の母娘関係にも影響を及ぼします。(母娘関係は、『イグアナの娘』などの他の作品でも扱われたテーマですね)
また最終巻では、グレッグ自身を取り巻く環境についても明かされます。もう愛って一体……。
最後、苦しみながらも「彼自身の人生」に戻ろうとするジェルミに残された壁が、グレッグが支配の手段として利用した実母・サンドラへの被害の告白でした。もちろん、故人なので直接告げられるわけではありませんが、お墓のシーンは一つの大きな区切りであり、断ち切りです。
結論のない、ずっと付き合っていく道のりだと理解しつつ、物語のなかで一つの区切りがあることに読者としてはほっとさせられたのでした……。
みんな、どうか幸せになって……
とにかく、最後に思ったことはこれにつきます。だからこそ、エピローグ的に描かれたイアンの大学生活にはほっとしたのです。(というか、彼らはまだ大学に行くような年齢ですらなかったのか!とも改めて思いますが……怒涛の10代……)
人生何があるかわかりませんが、少し幸せを予感させる最後に少し安堵したは本当です。
激しく穏やかな物語ではありますが、萩尾望都先生の最高傑作と呼ばれる理由もわかりました。また、時が来たら読み返したいと思います。