私が働いている会社の採用説明会と交流会を開いた。いつもは会員さん限定のコワーキングスペースに約50名の方が集まり、私自身も少しだけ登壇させてもらった。
参加者の中には前職と似た環境で仕事をされている方もいて、質問を聴きながら深く頷いてしまう場面もあった。
入社半年の私は何を言うのもおこがましいけれど、「だからこそ伝えられたこと」が多少でもあったらよいなぁ、なんてちょっと押しつけがましくも思ってしまう。あんまり不恰好に見えていないといいのだけれど、とかちょっとだけ虚勢を張ってみる。
とはいえ、さまざまなバックグラウンドをもつ多くの人と仕事の話をするのは、本当に楽しいものだ。
一日中働き方について話す中で、思い出したことがある。先日参加したとある会の中で、一人の女性が現在の所属組織で働いている理由を尋ねられ、「大きく息を吸って吐く、呼吸をするように仕事ができるから」と答えたことだ。彼女にとって、その仕事をするのがとても自然、という意味だった。
なるほど。これは、とても素敵で、共感できる表現だ。
私たちの仕事は、経験したもの、見たもの、食べたもの、出会った人……そのすべてが仕事になりえ、次へつながる学びになりえる仕事だと思っている。
私にとっても「働く」と「生きる」は、溝も境界なく、どうもゆるりと溶け込んでいる。というか、私自身がそういう場所じゃないと、うまく働けないタイプの人間である。
そりゃあ、たまには心拍数が上がったり、精神的に過呼吸になりそうな、ドキドキする場面も、私のような細い神経の人間にはあるけれど!
それでも、そんな荒い呼吸だって、最終的には酸素を取り込んで体を動かす「正常な呼吸」として、確かに機能しているのだ。
大きく息を吸って、吐いて。呼吸をするように、私は仕事をし生活を編んでいると思うと、なんだかくすぐったいような、誇らしいような。
一日を思い出しながら、冷えた空気の家路を歩く。振り返ってみると、今日のイベントで出した紅茶やコーヒー、和菓子、洋菓子はどれも過去に弊社の仕事で取材したお店で購入したものだ。
ちなみに簡単な打ち上げのような気持ちで先輩や同期と行った焼き肉店すら、そうだ。もしかしたら食べたもので作られる私の身体もまた、仕事に溶け込んでいると言えるのかもしれない。
「今日が、これから先で同じ空気を共有する誰かとの出会いの日だったのか」と思うと、静かに胸が高鳴る。恐る恐る応募のメールを送った、たった1年前の自分を思い出しながら。