真面目に普通にネガティブに、日常を生きているということ

趣味の1つとして、「#編集したい系の僕らに」という音声番組を、先輩編集者の長谷川賢人さんと一緒に定期的に収録・配信している。その収録の中で、「とりあえず、日記を書いたほうがいい」という話になった。正直なところ気が進まないが、ものは試し、と。

人から勧められたものを一度は試してみるのは、私の良いところである。まあ、真面目なので。でも怖いので、ストロングゼロを1本開けながら、深夜に。

日記を書くなんて、いつぶりだろう。思えばこれまで、私自身が考えていることや感じていることをまとめて発信することはほとんどない。せいぜい旅の記録や海外滞在記などのエピソード、ある事柄に対して見つけたライフハック的なノウハウ、またはよっぽどいいアイデアが思いついた時くらいだろうか。ちなみに書く場合は、基本的に前向きな内容を書く。

もし私自身が日々の生活の中で考えていることをそのまま書くと、多分それはめちゃくちゃネガティブなのだ。それはもう、どうにも扱うのが面倒なくらい。場合によっては「死にたい」という感情と共に生きているといえるくらいである。

先に1つだけ、どうしても弁解したい。これはあくまでも大変個人的な日記であり、「私は辛いから励まして!かわいそうだから応援して!」という類のものではない。そういうのは本当に、大丈夫です。

ましてや、私の周りにいる人を傷つけるつもりも毛頭なく、今いる環境への不満や否定でもない。私は友人や師、家族、周りの環境をに愛しさを感じているし、私みたいな人間に与えられすぎだろ!とかむしろ思うくらい。

なんなら音声番組「#編集したい系の僕らに」の中でも話してますが、「うちの会社&社長大好きナイト」みたいなイベントがあったら、こっそり出たいくらいである。

ただ事実としては、私は今まで自分がどんなに幸せで恵まれた環境にいたとしても、日々ことあるごとに「死にたい」とネガティブになっているのだ。こんな小さなことで凹む自分はどうなんだとは、思う。でも、ただただこう緩やかに、そういう気持ちにも向き合いながら生きているのは事実である。

正直なところ、この状態で生きるのは超・絶・疲れる!!! 足かせがはまっているようなものな気もするし、人よりメンタルにハンデを追っているような気がする。死にたくなったことが人生で一度もない人がいると聞いて、心底羨ましくて嫉妬する。

ちなみに一番古い「死にたい」記憶は、小学2年生の時だ。意外と大きくなってからだ。そこからは小学校、中学校、高校、大学、社会人とどれだけ環境が変わろうと、幸せであろうと、うまくいってもいかなくても、基本はネガティブだ。

ただそんな状態で人間を26年もやっていると、「はあ、もう死にたいな〜」と思いながらも、日常を普通っぽく送る人間の皮を、どうもうまい感じに被って生きられるようになってきた。こういう工夫をするといいとか、そういうのがわかってきた。特に、この数年は。

今日は朝から職場でイベントを開いて、そうする間に記事を何本か書いて、何本か編集して、メールを書いて、今日やるべき仕事をした。そのあと大好きな年上のお二人と一緒に、音声番組を4時間録った。

その中で、周りのエネルギーに圧倒されたり、求められているものに追いつけなかったり、馬鹿みたいなミスをしたりする。そういう時、どうしようもないくらいにネガティブな気持ちになることもある。

ただ現在は、そんな自分とも多分なんだかんだいい感じに付き合えていて、その結果で周りには「真面目だねぇ」と言われる日々を送っている。まあ、そこからも色々考えるけど。

だから今も、100%生きやすいなんて言えない。生きづらいよ。だけど、少しずつ生きやすくなっている。それは1つの成長の形だと思うし、自分がちゃんと適応できる場所に近づいたり、作ろうとしたりしてのだとも思う。いい感じに、真面目に、今日も生きてた。お疲れ様でした、自分。

有限会社ノオト所属の編集者・ライター/ コワーキングスペース「Contentz」管理人。 テーマは働き方・学び方・メディア・朝ごはん など / 休日は喫茶店と東京宝塚劇場をうろうろ