日本民藝館に見える、気合い

東京・駒場にある日本民藝館へ足を運んだ。来館者は年齢、性別、出自によらず、さまざま。けれど、多くの人が「すごい」「美しい」などを呟きながら、築100年近く経つ美しい建物を巡っていた。全ての調度が美しく、丁寧に作ってこられたことが一目で伝わる場所だった。

思わず言ってみたのは、最近、『わからないままの民藝』(著・朝倉圭一)という本を読んだからだ。以前から「民藝(無名の職人の手から生み出された、日常の生活道具)」というジャンルは知っていて、愛知県瀬戸市の民藝館などにも足を運んだことがある。

が、「ああ、落ち着くなぁ、いいなぁ」という感覚はあれど、何か、どうしてかを具体的には掴めていなかった。

でも、この本で9つの特性などをみていると、私自身の美意識と呼応するところが沢山あった。

実用性……鑑賞するためにつくられたものではなく、実用性を供えた物
無銘性……特別な作家ではなく、無名の職人によって作られた物
複数性……民衆の要求に応えるために、数多く作られた物
廉価性……誰もが買い求められる程に値段が安い物
労働性……くり返しの激しい労働によって得られる熟練した技術をともなう物
地方性……地域の暮らしに根ざした独自の色や形など、地方色が豊かである物
分業性……数を多く作るため、複数の人間による共同作業が必要な物
伝統性……先人たちの技や知識の積み重ねにより守られている物
他力性……個人の力というより、風土や自然の恵み、伝統などの大きな力によって支えられている物

よく考えてみると、「普段からこういう道具を使いたい」と思うのは当たり前かもしれない、とすら思う。安くて、実用的で、熟達した職人が作っていて、地域の色が出ていて……。でも、身近だからこそ、発見が難しい。

民藝運動を引っ張っていった柳宗悦のすごさは、発見されていなかったこのジャンルに名前をつけて、「価値がある」を見つけたところと、それを信じて信じて走りきったところである。日本民藝館の意地とも言える細部へのこだわりなどからは、柳の気合いや熱意が伝わってきた。落ち着く場所なのに、アツい。

「これだ!」というものを見つけて走り切る力は、編集者にも求められる。でも、伝え続けていくのは難しい。でも、このジャンルが100年も続き、今も多くの方に愛されているのはそれだけいい発見と伝え方だったということだろう。こういうふうに心を傾けられる人生に憧れる。

さて、最後に日本民藝館の玄関であることに気がついた。それは来客の靴の履き替えを助けるために置かれていた2脚の椅子だった。なんと、それが私の実家のダイニングチェアだったのだ! こんなところに!? というか、あなたは民藝と呼ばれるジャンルの椅子だったのか!

私は度々、実家のような黒茶の木を生かしたインテリアが好きで憧れると書いてきたが、ここで民藝に戻る。一世を風靡しただけなのかもしれないけれど、小さい頃から無意識にインプットされていたんだな……。

有限会社ノオト所属の編集者・ライター/ コワーキングスペース「Contentz」管理人。 テーマは働き方・学び方・メディア・朝ごはん など / 休日は喫茶店と東京宝塚劇場をうろうろ