34年の営業を終え、閉館間近のDIC川村記念美術館へ。行くのは2度目だけれど、閉館は私にとってもすごく寂しい。1日かけてじっくり見て、建物やお庭にお別れをしてきた。前回よりも人は多かったけれど、お庭がとにかく広いので、全然大した混雑ぶりではなかった。
何がよかったのか。行ったことない人に個人的に魅力を伝えるとする。簡単に言うと、上質なアートと建物、自然を日常からここまで隔離されて、1日を余裕をもって楽しめるアート施設は、関東にはあまりないのである。
レンブラント、ピカソ、モネ、マティス、藤田嗣治から、マーク・ロスコ、アンディ・ウォーホル、ジョセフ・コーネル、サム・フランシス、アダム・ステラ……。私はここで、こういうアートをつくる人だったんだ、と学んだことも多い。特にマーク・ロスコの作品だけを飾ったロスコルームの生み出した空間としてのアートと、モネの睡蓮の水面の美しさには心を奪われた。
もっと早く、たどり着きたかった。そうしたら、もっとたくさん通えたのに。多くの所蔵品は同時にすべて世に出てくるわけではない。もっと見たかったなぁ。
そして、この美術館は撮影禁止で、解説はあまりない(オーディオガイドはある。この出来も素晴らしい)。落ち着いた企画も多い。
会場の最後にあった結びの文章を読むと、そもそも全般的に見る人に委ねるような展示方針だったらしい。
DIC川村美術館では、作品と見る人の出会いを大切に、作品の発する言葉を解説という形で代弁するのではなく、作品自体に語らせる展示を心がけてきました。これにより、美術作品の表現する人間の感情や感覚、あるいは思考や意志に応答しようとするあなたの内なる声を先回りせずに、表出させることのできる余白を残すと考えてきたからです。そして、何よりあなた自身が自分の発した内なる声を聴き取る場となることを願ってきました。(中略)
美術や美術館は多様であり、答えはひとつではありませんが、この作品、この建築、この自然のなかで思いを巡らせた時間が、あなた自身について知るきっかけや救いとなったならば、これ以上の喜びはありません。
素敵だ。キュレーターの方というのはすごくすごく丁寧な編集をして、展示を作っている。だからこそ、最後にこの文章が読めて良かった。
アート鑑賞は、作品と解説の情報のインプットする場ではない。自分を見つめる作業だと位置づけていいんだな、と力強く思わせてくれる。
今の私は「このアートのこういうところが好きだから、私はこういうものに惹かれるのかも……」くらいの気持ちでゆるくゆるく楽しんでいる。好きなアーティストについては詳しくなってきたけれど、まだまだ知らないことばかり。これから、もっと自分がどういう感情になるのかとか、パワーのあるアートたちといろんな対話をしたくなる。そのきっかけを、この美術館はくれたと思う。
素敵な鑑賞体験を、本当にありがとうございました。忘れません。