ちょうどいい苦みのある話を

自慢ではないが、本当にまた充実した3連休を過ごしてしまった。美術館や登山、新しい人との出会いも多々。たくさん笑ったし、筋肉痛になった。週明けのリフレッシュ度もやたら高いので、今週も元気に気持ちよくいきていく。

たくさんの人と出会って話して気づいたのだが、何歳になっても人は恋愛話が好きらしい。確かに誰と生きるのか?という人生の根本的なテーマなので、盛り上がるのも分かる。そして、多くの人が当事者的に話せるテーマを持っている。

そして、経験から得る学びは大きいので周りの人も聞きたいし、一人で抱えるのが大変な当事者は発散させたいのだろう。需要と供給を満たしている感じがする。

しかし、ちょっと学びのある話をするには、あま〜〜い「恋のいいところ」ばかり語っていてはいけなくて。こういう失敗をするとか、ちょっとした苦みがないと盛り上がらないのだ。

たとえば、離婚をした理由。ちょっとしたすれ違い、どうでもいいように思えるけれど実は気になって仕方がないところなどなど。

その苦みを話すときには、その塩梅にも気をつけないといけない。なぜなら、パートナーを傷つけたくはないからだ。(知らないところでの悪口と聞こえる話は事故のもとだ)

ということで、「この話ししてもいいよね?」というちょっとした了解をとっておき、いくつか鉄板を作っておくのがいいんだろうな、と思った。そういうのを作るのにも、ちゃんと発酵が必要なので、こうやってちょっとエッセイを書くとかしながら、何ならちょうどいいんだろう?と考える。こういう時間はすごく必要だと思う。

私にとってこれを書くのはほんの数分だけど、人生が充実しているときほど、振り返りは難しくなる。でも、もったいないからなぁ。やるぞ!

有限会社ノオト所属の編集者・ライター/ コワーキングスペース「Contentz」管理人。 テーマは働き方・学び方・メディア・朝ごはん など / 休日は喫茶店と東京宝塚劇場をうろうろ