味わうための時間が必要

エンタメが、多い。どれだけ楽しんでも楽しみ尽くせないほど、東京の暮らしの中では気軽にエンタメが押し寄せてくる。手軽なところで言えば、動画(テレビ)、本・漫画、映画、展示会、飲食店、イベントetc…

私は手帳にその日に行った場所と楽しんだエンタメを書き留めているのだが、毎日なんだかんだ新しい体験をしている。それだけ、何か新しい刺激を求めているということなのだが、そのあまりのスピードにたまに驚いてしまう。

書き出し始めてから、私はこれだけのエンタメを本当に味わえているのだろうかと考えるようになった。

移動映画館「キノ・イグルー」の有坂塁さんはあるインタビューで、こんなふうに答えている。

映画の余韻を邪魔してしまうものは、予期せず受け取ってしまう他者の『言葉』と『日常』でしょうか。たとえば映画を観終わって外へ出た瞬間にスマートフォンの電源を入れるのも、僕としては避けたいことです。電源を入れた瞬間に、自分のなかの『日常』のスイッチも入ってしまうから。
 
僕は映画館を出たら、近くの喫茶店に入ってコーヒーやお酒を飲みながら、パンフレットを広げて映画を観て感じたことや、その映画の世界観を体に染み渡らせていく時間をとるようにしています。鑑賞時間+1時間までを、映画の時間ということにしているんです。
 
いろんな日常から解放されて映画と向き合うと、自分の心の奥まで潜ることができる。せっかくの1回の映画体験を余韻も含めてどこまで深められるかは、自分で決められることなのかなと思います。(有坂塁さんと考える「映画の余韻」とホルモン | HELiCO(ヘリコ) – あしたがちょっと健康に | アイセイ薬局

とても素敵である。せっかくのエンタメ、せっかくの非日常。でも、誰かの言葉は常に入ってくる。先日のモネ展でも、私自身のことばと同じくらいに、周りで来ていた他者の言葉が頭に入ってきた。いわんや、SNSをや。

ということで改めて思うのは、ある体験を昇華して自分の中に落とし込むためには、振り返りのための時間が必要ということである。それは実は仕事もそうだし、食事もそうである。味わい、考える時間。染みわたらせていく時間。

もちろん、忙しいとその時間を取れないままに流されてしまう。記事を公開するときですら、流されてしまうのが私たちの仕事である。だったら、最初から振り返りの時間をとると決めておけばいい。私の場合は、このエッセイもある。ここを利用すれば、アウトプットまで自分の心地よい流れですることもできるし、なんならネタに困らなくなる。

ということで、復活したこのエッセイにはたまに楽しんだエンタメの感想が登場する予定である。乞うご期待!(?)

有限会社ノオト所属の編集者・ライター/ コワーキングスペース「Contentz」管理人。 テーマは働き方・学び方・メディア・朝ごはん など / 休日は喫茶店と東京宝塚劇場をうろうろ