上野で見えた、モネの人生の一端

上野にある国立西洋美術館で開催中の、特別展「モネ 睡蓮のとき」へ。噂に違わずの大混雑。でも、「行ってよかったぁああ!」と思える瞬間がある鑑賞体験だったので記録。

前提として、わたしは自然のなかでは湖が一番好き。とくに湖面が反射して森の中でキラキラしているのには心惹かれる。最近だと、河口湖や洞爺湖の周りの自然とあいまった美しさに魅了されていた。

だからこそ、植物だけや人物ではなく、フランス・ジヴェルニーに自ら手配してつくった庭で、水面の反射と自然の両方を取り入れた、モネの絵も好きなのだ。

 「水と反映の風景に取りつかれてしまった。 老いた身には荷が重すぎるが、どうにか感じたままを描きたいと願っている」(1908年8月11日 モネの手紙より)

私が初めてモネの絵に心惹かれたのは、DIC川村美術館所蔵の『睡蓮』を見た時。解説の方に、モネの絵に写っているのはさかさまに描かれた水面と正面から見える睡蓮だと教えてもらったときに、その風景が突然見え周りに庭が広がるような不思議な鑑賞体験をしたのだ。

今回の展示でも、大きな藤の2枚組の習作の前を通った時、自分がモネの庭の藤の花が咲く日本橋の上を歩いているような、たくさんの緑が反射する水面を覗き込んでいるような感覚に陥った。ああ、なんという手入れしきれないほどの豊かな、それでいて大切にされた庭園の美。

絵という限られた枠に描かれた存在であるにもかかわらず、まるでZipファイルに入れられたデータが解凍されたように、まるで自分がその場に入り込んだように脳が喜んでいる。モネは抽象画だからこそ、想像力を掻きたてているのかもしれない。その世界に突き落とされるような迫力、引き込み力が半端じゃない。

こういう感覚が味わえるだけでもめちゃくちゃ良いのだけれど、さらに今回はモネの人生を感じられたのがよかった。

たとえば、同じ場所で、天気や季節によりバリエーションの違う風景を見比べる作品。なかでも、私が気に入った作品の1つである『セーヌ川の朝』は3時半に起きて描いていたらしい。根性。しかし、景色の美しさは瞬間的なものなのだよね、きっとモネも「今日はいいなぁ」とか「うーん、いまいち」と思いながら描いていたのではないだろうか。

それでいつつ、常にベストな天候以外にも美を見出していたのもいい。霧のロンドンの橋もよいし、夜の月の中のバラの木立もよかった。ロンドンは気候があわずに絵を仕上げられなかったらしい。モネほどの人がそうならば、凡人はもっと自分の環境に心を払うべきだな。

後半に行くと、画風が変わってくる。妻と子の死、自らの白内障などが次々にモネを襲う。失意の中で一度は絵筆を止めるも、その後に色の変わった世界の中で描いていた絵はいままでにない赤色が多く登場する。

力強い、赤。睡蓮の繊細さとは全然違う、晩年のモネの絵。画家として、何かを振り絞ってつくろうとする姿が感じられる。目の手術が成功したあと、その時の作品を取っておいたというエピソードにも人間が見える。

モネが実際に描いていた様子のドキュメンタリー映像や、日本橋の上からモネがこちらを見ている巨大写真パネルなどもかなり効果的に使われており。見終わった頃には、絵だけではなくモネおじいちゃんそのものに謎の親近感を覚えてしまった。

混んでいたし、すごく作品数が多いわけではないけれど、私が絵画鑑賞で求めている「きれいなものを見たい気持ち」「何か心を揺さぶられたい」「偉大なクリエイターの人生の一端を理解したい」などの感情がぎゅ〜っと満たされて、思ったよりも全然疲れなかった。

というか、やっぱりモネの作品が好きだな……。「混んでるだろうからな……」と思ってついつい敬遠するけど、ちゃんと好きなものは見たほうが後悔のない人生が遅れそう。ああ、パリのモネの博物館にも行きたいな〜〜。

有限会社ノオト所属の編集者・ライター/ コワーキングスペース「Contentz」管理人。 テーマは働き方・学び方・メディア・朝ごはん など / 休日は喫茶店と東京宝塚劇場をうろうろ