仕事のほうが私を選ぶ

日本海に沈む美しい夕焼けを見て、福井旅が終わった。この数日は自分にとってのご褒美旅であった。大きな仕事を終えた満足感と疲労感そのままに新幹線に飛び乗って、溶けるように時間が過ぎた。

やりたいことや行きたい場所は自分のペースで詰め込んだし、周りの人にはどんどん話しかけたし話しかけられた(私は本当に旅先で話しかけられる)。ミニマリストでいたいと強く願っているが、強い縁を感じたものは自分へのお土産としてちょこっと買った(笑)。ああ、楽しかったぁ!!

でも同時に、今回はずっと「これからどうやって、何を思いながら働こう?」を考えていた。先週終わってしまったコワーキングスペースの仕事は、ある意味で天職だったと思うし、息を吸うようにやっていたから、ぽっかり空いた心の隙間をどうすればいいのか。

そうすると、たくさんの人の働き方に目が止まった。永平寺で掃除に勤しむ未来の住職さん、50年以上ホルモンやを経営する女性、子どもにも大人にも恐竜の魅力を伝える女性ガイドさん、静かに化石クリーニングをする研究者さん、教員を辞めたあと地域に開いたギャラリーを開いた男性、福岡で民泊を始める予定と話す私の母と同世代の女性、地域をベースに活動するライターさん、継ぐ気がなかった実家の工房に入って立て直した経営者さん……などキリがない。

なんで働いているんだろう、どうしてその仕事を選んだんだろう。そう考えたとき、もしかしたら「働く」の選択肢の裏側には個人の意志よりも強い、何かの「流れ」があるのかもしれない、と思った。つまり、自分で決めたのではなく、気づいたらそこにいた、というか。

私の場合も、コワーキングスペースの仕事を始めたのは偶然だった。学生の時、たまたま使うことになったコワーキングでアルバイトとしてスカウトされたのが全ての始まりだった。ライターもたまたま請け負っているうちに、やけに評価されるので、「向いてる?」と思うようになった。

世の中には面白い仕事がたくさんある。けれども、例えば私が化石研究者になる道って、やっぱりあんまり想像できないし、町工場の跡取りやタカラジェンヌになるためにはもう一度生まれ直さないと無理である。つまり、ある仕事に就くルートに入り込めるかどうかは、かなり運の要素が強い。

私たちは、仕事を選んだと思っているけれど、実は仕事に選ばれているのかもしれない。(同時に、やっぱり社会的階層の移動は難しいんだ!という裏面も見える……うう)

幸い、私は好きな仕事に就いているし、基本的にいい流れの中にいる。だから、アンテナを張り巡らせつつ、フットワークは軽めにして。きっと新しくていいことに、また巡り会えるんじゃないかなぁと信じていく。

有限会社ノオト所属の編集者・ライター/ コワーキングスペース「Contentz」管理人。 テーマは働き方・学び方・メディア・朝ごはん など / 休日は喫茶店と東京宝塚劇場をうろうろ