東京都北区にある、旧古河庭園へバラを見に行きました。バラって、圧倒的に華やか。数え切れないくらいの種類が育てられていて、それぞれには説明書きも添えられていた。バラの見頃にはちょっと早い時期でも咲き誇っていたのが、カーディナル。なんと、バラの赤色の基準になる品種だそう。恋。
それにしても、ジョサイア・コンドルが建てた邸宅は見事であった。1階部分のみの公開であるものの、栄華を誇ったであろう様子がありありと伝わってくる。
8本足のビリヤード台、特等席に設けられたサンルームの喫煙室、大きな錠がついた本棚、硬いナラの木を削り出した美しいマントルピース、各部屋ごとに趣向の異なる天井飾りにシャンデリア、ドレスでも歩きやすい階段。
そして庭。何よりも、日本庭園とバラ園をセットで作ったのが素晴らしすぎる。借景を自分で作り出す、明治のお金持ちってこういうことをするのね。なんとなく、「はいからさんが通る」の伊集院邸ってこんな感じかな……と思いながら歩いた。撮影禁止なので、網膜に焼き付ける。
そんな旧古河庭園も、荒れていたときがあるらしい。なんと、誰もが入れる状態になってしまい、天井に大穴が空いていたという。それを修繕して、今の状態まで持っていったそうだ。ありがたすぎる、おかげで私は楽しめているわけで。まったく先人の努力に敬意を払うしかない。
最近、休みの日は完全に東京を旅する気持ちで過ごしている。とうとう「地球の歩き方 東京」も買ってしまった、持ち歩きたいからこそ電子版で。東京は日本有数の観光地であり、文化の集積地でありながら、住んでいるとその感覚をすっかり失う。これは、なんだろうか。
これは他の都市でも同様だ。最近、名古屋の藤前干潟についてのドキュメンタリーを見た。1990年代初頭にゴミの埋立地になりかけるも、渡り鳥にとっての重要性や底生生物の存在が認められ、見事に計画を白紙になった奇跡の干潟である。その後、都市の中の干潟は保全され、現在は野鳥の観察もできるらしい。(現在はマイクロプラスチックの問題を抱えているそうで、まさに環境と自然の相克という感じがする)
名古屋に住んでいたときも、自分の生活に精一杯で、そんなことを全然知らなかった。ちょっと恥ずかしいくらいだ。
自分の住んでいる地域の良さや魅力って、その場にいるときにはやっぱり見えにくい。日常の中の当たり前の風景になってしまう。その点、やはり「よそ者」である自分が心の片隅にいるのは大事なのだ。本質的には、東京から少し排除されている感覚がある。ずっといるとも限らない。だから、旅人の目でいられるのだ。
今年のGWは遠出をする日もしない日もあるので、首都圏で見たいものをたくさん見に行こうと思うのでした。大会もあるし、忙しいけどとっても楽しみ。