明治に対応する浮世絵師たち

閉店、閉館、長期休業。もう行けないかもしれないと思うと、どうしても心が揺れる。三菱一号美術館と併設のcafe1894の休業情報が入ってきたのは、数カ月前のことである。のちに財閥となった三菱が、明治時代に政府から買い上げた土地に建てた煉瓦造り建築……を復活させた建物。設計者はジョサイア・コンドルだ。

みたい、みたい、みたい! ……ということで、ちょっと時間を作って訪問してきました。名物の限定アップルパイのサクサクで複雑な味に恋をし、席から見える窓とその向こうにある緑の美しさ、今はロールスクリーンが降りているけれど当時は画期的であったろう光の具合にうっとりとした。当時は銀行の営業室だったそうだが、来た人はみな惚れ込んだだろう。日本の勢いを感じる時間だ。混んでいると聞いていたけれど、思ったよりも待ち時間もなく、大満足の経験である。再開したら、アフタヌーンティーにこよう。

開催中だった展示は「芳幾・芳年―国芳門下の2大ライバル」。江戸時代末期から明治にかけて活躍した、2人の浮世絵師の作品と人生を比べる展示だった。200点以上あり、解説も多いので、かなり時間がかかった。建物も見なきゃいけないし、いそがしいったら!

激動の時代の中、浮世絵の立ち位置や人気も変わっていったらしい。やはり写真のない時代、大地震や上野戦争など、時事性の高い絵をもともとたくさん描いていたらしい。もちろん、いわゆる美人画のような浮世絵をたくさん描いてはいるものの、後年には二人ともそれぞれ新聞に絵を描いていた。それがどれも、SNSでバズりそうな小話ばかりで面白かった。

当時の新聞社の多くは、丸の内にオフィスを構えていた。さらに、いわゆるベンチャー的で、まさに文明開花の象徴的ビジネスの一つだったという。二人の師匠である国芳自身、作った絵が幕府を批判したということで回収になっていたりするので、浮世絵というクリエイターは思ったよりも、ジャーナリスティックな面を要求されていたのだな……と思った。

展示の方は、歴史資料館も見てきたが、三菱を作った岩崎彌太郎という人物は私が思うよりも、ずっと勢いがあって土佐という地域でパッとしない家からのし上がってきた人だったらしい。その作った財産を、東洋文庫や三井一号美術館、そして静嘉堂文庫などの文化投資をしているのも面白い。

岩崎彌太郎の人生がもっと知りたかったので、夜には2001年雪組「猛き黄金の国」を見た。かなりはしょりまくりだが、明治維新という大きな時代の転換点の中で、得意なことを活かして、役割を変えながら必死に生きようとする姿が印象的だった。

明治初期は面白い。令和もVUCAなんていうけれど、この時代の変化もかなり激しい(もっとも江戸東京博物館に行った時、地方の変化はもっとゆっくりだった……と書かれていたのもの思い出す)。

改めて、変わらない社会の中で生きている人間なんていないんだな、と思う。変わっていくのが当たり前だ、どの時代も。だから、変化を見て、できることを考えて、一生懸命、希望を捨てずに生きるのだ。ああ、いいな、元気がでる。

有限会社ノオト所属の編集者・ライター/ コワーキングスペース「Contentz」管理人。 テーマは働き方・学び方・メディア・朝ごはん など / 休日は喫茶店と東京宝塚劇場をうろうろ