「味わい」を記憶する

きのう、新しい言葉を知った。「屠体給餌(とたいきゅうじ)」だ。これは、毛皮や骨などが付いたほぼそのままの状態の肉をエサとして飼育動物に与えることをいう。例えば、動物園のライオンに骨つきの鹿肉をやる……というイメージである。

もともと、人の手で作られた餌に比べていいところがあるらしい。それは、複雑な形体のため食べるのがゆっくりになり、その結果、消化もゆっくりになり、臓器への負担も減る。そして、ライオンにとっての暇な時間がなくなって、ストレス行動が減る……らしい。

なるほど、やはり野生に近い状態を再現する方が何かとうまくいくものらしい。本来は狩りをして自分で獲っているんだもんね。骨付き肉をバリバリと音を立てながら食べるライオンの姿は百獣の王の貫禄があった。映像で見ただけだけど。

ゆっくり食べるのが身体にいいというのは、人間にもよく言われることである。お恥ずかしながら最近になって、味わって食べたものとそうではなく急いで食べたものだと、全然「味の記憶」の状態が全然違うなと感じる。

しっかり味わった時、思い出がある食べ物に関しては、あれがおいしかったな、と思った時にどんな味か思い出すことができるけれど、漫然と食べたものについてよくわからない。

特に、ポイントになるのはゆっくりと「味わう」という時間を取れるかどうかだと思う。ゆっくり食べていても、人と話しながら食べていては味の記憶を割と薄れる。ちゃんと舌の上にある食べものに意識を集中できるかどうかはすごく大切なのだ。

私はもともと全然少食ではなく、よく食べるほうだと思うし、食べて元気を出すタイプである。が、しかし、私ですらも最近は胃腸が以前よりも量を食べられないと訴えているのを感じる。そうなると、やはり一つの食事での味わう行動を大事にしたほうがいいんだろうな。もったないし。

人生であと何回食事ができるんだろう。世界には美味しいものがいっぱいあるから、いろんなものを「味わい」たいものである。

有限会社ノオト所属の編集者・ライター/ コワーキングスペース「Contentz」管理人。 テーマは働き方・学び方・メディア・朝ごはん など / 休日は喫茶店と東京宝塚劇場をうろうろ