人の知性を信じたい

上野にある国立科学博物館はすごい。初めて行った時には圧倒された。まず、建物が美しい。文化財らしい。あと、展示量が膨大である。ここを作った人は、1日で見てまわる想定ではないのだろう。テーマの幅も広く、この中身がだいたいわかるようになればかなりの賢人になれそうだ。次にいったら、リピーターチケットを買おうっと。

来館者は子どもや学生が多く、賢そうな高校生が友達に解説をしながら歩いている様子も見られた。こうやって俯瞰的に見ているうちに、興味分野も見つかりそうだ。東京の高校生はいいなぁ、私が高校生の頃にここに来られていたら……と思ったけど、きっと当時も今も興味は変わっていないかも。多分、今と同じく産業史に興味をもった気がする(笑)。

この博物館からは「人間の知性」への圧倒的な信頼を感じた。きっとこれを読み込んで興味を持ってくれる人がいる、それは年齢を問わない。だから、遠慮せずに詳しく、深く、広く展示をしよう。そんな運営者の熱量を感じる。

編集者をしていると、人の知性をどれくらい信じるか、迷うときがある。世の中には賢い人がたくさんいる。けれど、その賢さを休憩中やスマホで記事を読むときにもフルで発揮しているのだろうか。そう思うと、すき間でも頭に入ってくる平易な言葉や疲れないコンテンツのほうがいいのかなとも思う。

最近、チャットで呼びかけるとき、伝わりやすいようにざっくり表現を意図的に使った。すると、「正確にはそうじゃないですよ」という指摘が飛んできて面食らった。いや、そういうつもりじゃない。しかも結局、その呼びかけにレスポンスはなかった。うーん、そのやりとりも含めて残念ながら失敗だったなぁ、と反省した。

でも、その時に「私は、ここにいる人たちをあまり信じてなかったかも」とちょっと反省した。信じていたら、もっと正確な表現を使ったのではないか。無意識に、読者たる人々をみくびっているのではないか。

無意識に他人の知性を信じないのは、あまりいいことじゃない気がした。広く呼びかける、正確に呼びかける。結局、うまくいかなかったので正解はわからないけれど。

有限会社ノオト所属の編集者・ライター/ コワーキングスペース「Contentz」管理人。 テーマは働き方・学び方・メディア・朝ごはん など / 休日は喫茶店と東京宝塚劇場をうろうろ