「産む」には論点が多すぎて

渋谷で開催された、産む物語を問い直す展示「産まみ(む)めも」を見にいった。SNSで話題になっていたが、とにかく企画内容を説明する文章がリアルかつ、本当にそうだなと思えて興味を持った。

「産む」は誰と、どんな日々をあゆみ、どんなまちで暮らし、どう生きがいを見出し、いかに死ぬか。一人ひとりの生そのものにつながります。

「産む」は個人的であると同時に、とても公共的なことがらです。
「産む」を考えるとは、未来を担う子どもたちを考えること。子どもなしに社会は未来に残らない。産み育てるひとの自己責任ではなく、だれもがすでに「産む」に関わっています。 しかし日々の中で「産む」について話しあう機会もなく、タブー視すらされている。

―――だからこそ、わたしなりの「産む」に向きあいはじめる場が必要です。

産まみ(む)めも展_産む物語を問い直す展覧会|公共とデザイン

5組のアーティストは、不妊治療や住まい方、張子、家族とは何でつながるものなのか、など全く違うテーマと題材で、見ている方もバランスよく「産む」について考えることができる。

たとえば、産みの親ではなく希望する大人5人で子どもを育てたらどうなるだろう?とか。自分が子どもを産む時に社会実装はできないだろうなというアイデアを見ながら、こんな世界だったらどうするかなーと考えていた。

見終わって思ったのは、「産むかどうか?」という一見シンプルな問いにはとにかく関連して考えるべき事項が多すぎることだ。真剣に考えるほど「産めない/産まない」を選択してしまいそうである。

・養育費は足りるのか
・自分のキャリアは途切れないのか
・妊娠後に健康面の問題はないのか、健康に産めるのか
・住まいをどうするのか
・親として十分なのか
・パートナーと法律婚をするのか
・どちらを選んだ方が後悔がないのか
・子どもを産み育てることでしか満たされない感情ってあるんだろうか
などなど。

昔は、「高校に行くのは当たり前だよね」くらいの世界観で、「結婚したら子どもを持つもの」だったのかもしれない。けれど、今は自分で考えて考えて人生を選べる時代だ。そうなると、「シンプルに子どもがほしい!」という強い気持ちがない限り、冷静にこれらの問いに向き合うだけで、息が詰まるし、考えるのを放棄したくなってしまいそうである。

私は昔から、子どもがほしいという感情は薄い。だけど、この問いにもうちょっと腰を据えて考えておかないと死ぬときに後悔したりするんじゃないかと思う。一方で、考え切ってからの決断なら妊娠がうまくいくとも限らないから、難しい。考えれば考えるほど、うまくいかないのにダメージを受けるだろうし。

センシティブすぎて話す相手を見つけることが難しく、論点が多すぎて一人で考えるにはごちゃついてしまうこのテーマ。そういう意味で、自分へ問いかけるヒントが散りばめられた、とても貴重な展示だった。

有限会社ノオト所属の編集者・ライター/ コワーキングスペース「Contentz」管理人。 テーマは働き方・学び方・メディア・朝ごはん など / 休日は喫茶店と東京宝塚劇場をうろうろ