言い訳だらけでも0.1歩の防災をする

3.11から、もう12年が過ぎたらしい。やはり昨日は当時の映像がたくさん流れてきた。農業や漁業は回復しつつあるといういい話もあったものの、やはりたくさんの失われたもの、変わってしまった未来を思うと胸が痛い。

私が住んでいてる地域にも、地震が起こる予測はされている。もちろん、家選びなどでは多少の耐震を気にするが、なかなか防災に向けてしっかりやっています!と言える備えがあるわけではない。なぜ、わかっていても家で防災の備えができないんだろう。

一つは、東京の家に置くには非現実的な量の備蓄が推奨されていることだ。私の家には収納が少ない。そうなると、大量の水とかを置くイメージができず、どうも腰が重くなる。こんなに防災が重要な国なんだから、最初から防災グッズ置き場を家に作ってくれればいいのに! 

持ち物に関しては、ちいさな防災ポーチだとしても、荷物の量がこれ以上増えるのに抵抗がある……。

また、頑張って調べてみてもあまりしっくりくる情報はまとまっていないから、手間がかかる。人によって暮らし方はさまざま。必要なものも全然違う。だから、調べながら、自分なりのアイテムリストを作らないといけない。それが、やっぱり大変だし、合っているのかがわからない。

そのリストがうまくつくれないのは、結局のところ、私が震災をイメージできていないからなんだろう。3.11の当日、私はドイツを旅行していて、帰ってきたのは2週間後だった。当時の貧弱な英語力では地球の裏側から何が起こっているのか、一番リアルなところがつかめなかった。

当時住んでいた愛知県も、被災していないものだから、帰宅困難者になったらどうしようとか、全然ピンときていない。この点、当時東京在住だった人の話を聞くと、学びがある。体験できないことだからこそ、いろいろな体験談を知ることには意味がある。

防災は大切だけど、何かを無駄にするのも嫌なのだ。たった一回のために、持ち物や買い物のルーティンを変えたくないのだ。不便さをこうむってでも大丈夫……と思えるならいいんだけど、命に関わるとなるとそうではない気がする。むむむ。緊急ではないけど、大事なことだ。

言い訳だらけの中で、ある取材を思い出した。防災の専門家の方は、「0.1歩でも防災をしておくことが大切」だと言っていた。防災にはゴールがない、どこまで準備することもできる。でも、スマホをこまめに充電しておいたり、普段から余裕をもって行動しておくことだけでも全然違う、と。

これは本当にそのとおりだな、と思った。誰にも何が起こるかはわからない、だから完璧な準備はできない。だけど、できることをほんの少しでもやっておく。水とかも、まずはもらったペットボトルのあまりを少し貯めておくぐらいから始めてもいいのかもしれない。

ゆるゆるだけど、普段は考えない防災について、考えさせてくれる機会に感謝して、被害を受けた方のご冥福をお祈りします。

有限会社ノオト所属の編集者・ライター/ コワーキングスペース「Contentz」管理人。 テーマは働き方・学び方・メディア・朝ごはん など / 休日は喫茶店と東京宝塚劇場をうろうろ