生まれではなく、環境が違っただけ

3月8日は国際女性デー、ミモザの日。そういえば、今年はミモザをまだ見ていない。以前に住んでいた家はたまたま近所で咲いているところがあったから、見逃さなかったのに。もう少し、今の家の周りも見渡してみよう。

1904年にアメリカ合衆国のニューヨークで、参政権のなかった女性が労働条件改善を求めて起こしたデモを受けて、 ドイツの社会主義者クララ・ツェトキンが、1910年の国際社会主義者会議で「女性の政治的自由と平等のためにたたかう」記念の日と提唱したことから始まりました。 1975年には国連によって「国際女性デー(International Women’s Day)」として制定され、日本でも「女性の生き方を考える日」として、さまざまな活動が行われています。

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職業柄かもしれないが、性別について考えさせられることは多い。私のパートナーは異性なので、パートナーシップについて考えるときもジェンダー観が関わってくる。

たとえば、我が家には赤と青の対のお皿がある。私は意図的に青を自分のほうに置く(私の好きな色だから)。トイレのピクトグラムじゃないんだからこれでいいはずなのに、私自身も微妙〜な違和感がある。皿の作り手は、どれくらい夫婦皿を意識をしたんだろう。

そんなふうに難しいなぁといつも思うけれど、私が少なくともこれだけは意識しているのが「生まれた時の脳みそに差はない。でも、男性と女性の育てられ方・環境には違いがあり、そこから生まれた思考の傾向は存在する。ただし、個人差はある」ということである。長い。

結局、女性だから優しいわけじゃなくて、優しいことが評価される世界で育ったから優しい人間になったのだ。男性ももし力の弱さが重要視される会社だったら、そういう人が育まれたんじゃないだろうか。

この人は男だから、女だから。ふとしたときに自分の中に浮かんでくるその思いと戦う。「この性別だから」ではなく、「ああ、こういう価値観が重視される社会で育ったから、きっとこういう考えなんだ」とちゃんと省略せずに考えたい。

そうじゃないと、いつのまにか自分の中に「男とは」「女とは」と考える思考回路ができてしまいそうなのだ。一般的に言われていることを飲み込むのは容易い。でも、文章を書き、編集する立場なのだから、もっとていねいに考えを保つ必要がある。難しいけど。

有限会社ノオト所属の編集者・ライター/ コワーキングスペース「Contentz」管理人。 テーマは働き方・学び方・メディア・朝ごはん など / 休日は喫茶店と東京宝塚劇場をうろうろ