大人は「話す」ために「遊ぶ」

大人になってから、人と遊ぶ=飲み会という認識で声をかけられる機会が多い気がする。確かに飲み会はレストランやバーに行くだけで始まるので、カンタンではあるが、何よりもお酒を飲まない人にとってはちょっとつらい。

もう少し、遊ぶについて考えてみると大きく下記のようなジャンルに分けられそうである。

・食べる(食事、飲み会、カフェなど)
・何かを体験する(ものづくり、ゲーム、カラオケなど)
・何かを観に行く(旅行、美術館・博物館、イベントなど)
・休む(温泉・リラクゼーションなど)

いろいろあるが、根底には全て「話す」がある。話すために食べ、話すために体験し、話すために予定を合わせて出かける。もしともに過ごす相手と話したくないならば、一緒に過ごす理由はない。

なぜなら、上記に挙げたすべては大人なら一人でできる可能性が高いことばかりだからである。本質的に、相手と話すために遊ぶのだ。

そして、話す内容は環境に大きく影響を受ける。だかれと誰と話したいかだけではなく、どういう環境で話したいのか?によっても、でかける内容を選ぶことができそう。

逆に、会話が軽視されている遊びはつまらないと思ってします。与えられるエンタメをただただ一方的に楽しんで、感想も言い合わずに帰る……みたいなことだ。だったら、一人で行って自分のペースで楽しめばいいじゃん〜と思っていしまう。

飲まない私の場合、飲み会代わりの遊びは、「モーニング」と「宝塚歌劇」である。あまりされない提案ができるからこそ、お互いにとって刺激的な場になっているのではないか、と勝手に思っている。家にはいろいろと資料もあるし、行きたい場所は多い。

とはいえ、私は初心者を連れて行く宝塚歌劇の演目についてはこだわりが強いので、「行きたい!」と表明してからなんと4年も待たされた人すらいる。楽しんでくれたので良かったけれど、お互い気長なもんである。

遊びの要素、整理できてよかった。一つひとつはどれも楽しくて、一人でもできる。でも、誰かと一緒に楽しんだほうがいいこともたくさんある。大人の遊びの選択肢は、飲み会だけじゃない。話すために、話したくなる遊びをするのだ。ぜひ、私と遊んでほしい。

有限会社ノオト所属の編集者・ライター/ コワーキングスペース「Contentz」管理人。 テーマは働き方・学び方・メディア・朝ごはん など / 休日は喫茶店と東京宝塚劇場をうろうろ