その程度の言葉の中にも、たくさんのニュアンスがある。「にほんごべや」というやさしい日本語を解説したブログによると、「いいよ」は肯定でも否定でも使うし、もういいや〜という諦念から、褒めるときまで使う。
言葉とは難しいというのは職業柄よく知っているものの、客観的に見るとなかなか複雑である。このニュアンスの違いは前後の文脈から読み取るということだ。
こういうの、外国人学習者にとってめちゃくちゃ難しいだろうな……。とはいえ日本語を第一言語にする話者同士だって、わからなくなることがある。
「(話しても無駄そうだからもう)いいよ」
「(どうせ折れないだろうか)いいよ(私が諦めるよ)」
「」
本心なのか、気遣いなのか、諦めなのか。とりあえず分かっているのは、「いいよ」という言葉で自分の心を飲み込んでいると、いつかコップが溢れちゃうということ。だけれども、自分の本心だけを言っていると、それもまた人間関係を複雑にする。
とはいえ、最終的には黙っていてもいいことはないな〜というのが感想。すり合わせについては、私だけの問題ではない。だったら、とりあえず本心を言ってみること、俎上にあげてみることが大事なのかな、なんて思ってみたり。うーん、英語で話すほうが楽かもしれないな。