惑星にならないために

「ねえ、お茶淹れていい?」同じ屋根の下に暮らす人にそんな声をかけている自分に、どうしようもない違和感がある。なんで、私はそんなことの許可をとっているんだろう? お茶なんて、好きに淹れればいいじゃない。もちろん、許可をとってくれなんて求められていないのに。なんだか、私が私を下げて、下につくような言い方をしている気もする。

「元始女性は太陽であった」はずである。これではまるで、恒星の周りをまわる惑星ではないか。いやだいやだ、そんなの私の生き方じゃないよう。

でも、なんでそんなふうに無意識に許可をとっちゃうの、私?と心に尋ねてみる。それは、やっぱり、ちゃんと相手と仲良く暮らしたいからだ。ちょっとずつ細かいことも含めて、相手がどういう人かを測って、嫌なこととか、好きなことを知りたい。

だとしたら、「これをしていい?」と「許可」を求めるのではなく、「私はこれをするね」という「情報共有」でもいいはずだ。事前に共有しておけば、何か嫌だったり、不都合があれば伝える隙間ができる。

会社の稟議で言えば、すべての上司に承認を得る「オプトイン型」ではなく、嫌なことがあった時だけ声をあげる「オプトアウト型」を採用するイメージだ。

私の心の中には、どこか知らないうちに自分を下げてしまう感情もあるのかもしれないけれど、まずは形から。許可は取らず、情報共有に切り替える。しばらくは、これで言ってみよう。いずれにせよ、前向きな気持ちでやっていることなんだから。

有限会社ノオト所属の編集者・ライター/ コワーキングスペース「Contentz」管理人。 テーマは働き方・学び方・メディア・朝ごはん など / 休日は喫茶店と東京宝塚劇場をうろうろ