「アットホームさ」について考える2つのこと

アットホームさや交流をメインにした宿に泊まった。連絡で多少のミスはあったものの、概ね楽しかった。運営は大変そうに思うが、いい感じに力を抜いている現実的な面もあり、スペース運営者の端くれとしては「そうじゃないと続かないよねぇ」と、普通に納得した。

アットホームさというのは、なかなか難しい。まず一つに、内輪とアットホームさの微妙な演出が難しい。コミュニティができる上がるほど、外との境界が強くなり、内輪話に終止してしまう。この状態だと外部からきたコミュニティ参加者にとってあまり心地よくないし、仲間になれるわけでもないので、得られるものはあまりない。どうやって外から来た人を、話題の中心にもっていくのかは悩ましい。これは意外と、1対1のほうがうまくできたりする。

ちなみに、私のスペースは運営メインバーが少ないので、とりあえず私は会員さんを巻き込みつつも、一人でアットホームな人をやっていたりする。比較的うまくいっていると思っているけれど、問題点もある。

それは運営者が弱っているときである。単純に、相手をケアする能力や愛がすり減っているときもあって、これ以上の高いアットホーム性や受け入れキャパシティの増大、持続性を求められても困るんだよね。アットホーム性は、ある程度は運営者のパーソナリティに依存しちゃうので、仕組み化するのは難しい。これが、採用が一番大事と言われる所以だけど! 元も子もないよ!

もう一つは、アットホーム性を受け入れる側の心の状態である。今回の場合、私は比較的疲れていたので、ちょっとアットホームくらいでいいかなと思っていたのですが、思いのほかめちゃくちゃアットホームだったので、そのあたりの温度感合わせが難しかった。アットホームなのは楽しいけれど、ちょっとでいいときもある。

とはいえ、もちろん相手の雰囲気をちゃんと読んで対応いただいたのだけれど、改めて利用者になると発見があった。自分で経験しないとわからないことって多いなぁ。サービス提供者として、同じような取り組みをしているところのことをたくさん観察したい。

有限会社ノオト所属の編集者・ライター/ コワーキングスペース「Contentz」管理人。 テーマは働き方・学び方・メディア・朝ごはん など / 休日は喫茶店と東京宝塚劇場をうろうろ