麻布競馬場さんの小説『この部屋から東京タワーは永遠に見えない』を読みました。
キラキラした東京で無数に生まれている、全然キラキラしていない人のストーリーたち。出てくる人たちに共感できず、シンプルに他人と比べても仕方ないんだから、人生を前向きに捉えてみればいいのに、とかいいそうになる。
この本、読み終わったあとにめちゃくちゃ自分の人生について考えたくなる本でした。特に、今東京に住んでいるか、東京に住んでいたことがある人にとっては。
就職のタイミングで上京した私にはわからなかったけど、地方から出てきて東京で大学時代を過ごすのは憧れのルートだけど、なかなかハードそうだな……と思った。
いまいち分からなかったけど、東京の大学で過ごすというのは、豊かな暮らしをしてきた優秀な人と、お金がないときに露骨に比較をしてしまうことなんだな。
就活の時、夜行バスで上京し、そのまま寝る場所に困っていた私からすると、「面接のあとバイトに行くんだ」と話す東京育ちの人生はよっぽどイージーだなと思っていたのだけど、そうじゃないらしい。
そして、東京育ちの人と自分の文化資本の違いは、今ですらまだ感じる。それを埋めようと必死になっている面もある。
全体からすると、東京で裕福な家で育つ可能性は低い。だけど、そういう人がいるのを見せつけられるのはしんどい、というのは想像できる。
さて、私は家族の教育方針で「実家から通える国公立大学」に行ったわけだけど、そのチョイスは悪くなかったのもしれない。
高校時代には勉強に苦労したものの、なんと自習で成績を大幅に上げ、名古屋という都市に入り込み、少しずつ都会に慣れながら数年を過ごす。プレイヤーが少ないので仲間がつくりやすく、好きに動ける。やりたいことは全部やって少し東京に知り合いもできた状態で、上京。
しかも、地方出身者の多いベンチャーだったので、土地柄の差は感じつつも、どこか共通点を見出し、すごく仲良くなれた。今も、自分のキャリアにあった仕事をしていて、裁量権も大きい。もちろんできていないことも多いけれど、満たされている。
作家の橘玲さんは音声インタビューの中で、「自分が幸せになった人生の物語を構築し、語ることができること自体が一つの幸福の形なのではないか」と話されていた。(抄訳)
それに照らすと、私には今に至るまでの前向きな物語があるから幸せなんだな、と思った。
それは、私の物語を自分で作ってきたと思っているからなんだな、と気づいた。
自分の物語なんて、たいしたことないと思うのはつらい。自分の頭で考えて行動して、オリジナルの人生を作ることこそが、今から幸せになる道なんだろうな。