自分の中のどこかにあるエネルギーが何か有り余っているようで、半端に使い残しているようで、とにかく気持ちが悪い時がある。
私の土曜は、出勤日だ。通常の業務を進め、定時を過ぎる直前に、私はそんな表現しがたいどうしようもない気分であった。
別にやることがないわけじゃないけれど、むしろやるべきことが明確にあるからこそ、誰かに今すぐに会うか、どこかに行かないと、どうしてもどうしても耐えられない。どこか、どこかへ。たまらず私は、キーボードに指を走らせた。
そこで見つけたのが、東京芸術祭2018の一環として池袋西口公園で開かれている『野外劇 三文オペラ』である。
あらすじ
原作の『三文オペラ』は、金融恐慌とナチス台頭の時代である1928年に作られたベルトルト・ブレヒトの音楽劇。存在も知らなかったが、テーマは階級社会への皮肉。ストーリーは、Wikipediaが詳しい。
演出は、イタリアを代表する演出家ジョルジオ・バルベリオ・コルセッティ氏。キャストは全員オーディションで選んだという。
有料席は500円、無料観劇ゾーンがあり、開場時間にさえ間に合えば、誰でも観られる。(ちなみに私は入場にあと1分だけ間に合わず、観劇ゾーンから少し離れたところで立ち見していた。立ち見は得意)
滑り込みなので、本当に事前準備はゼロ。しかし、これが面白かった。2時間の舞台、これが無料でいいのかね!
以下、大きなネタバレがない程度にさらっと自分のためにも感想をまとめます。
1. ショベルカー、アウディ、軽トラ!! 圧倒的な大道具
公園に着いた瞬間に驚くのが、円形の広場の端を陣取るショベルカーである。これが、めちゃくちゃいい演出に使われる。舞台が奥行きがある分、メインの舞台の奥側にあるときにもめちゃくちゃ活躍する。
さらに、車のアウディや軽トラ、オートバイ(原付?)まで、ガンガン走りこんで来る。宝塚歌劇でも馬とかメリーゴーランドとか使うけど、これはさすがに持ってこられないだろうね。
野外劇、しかも、平地の街中の公園だからこそのスケールを、余すところなく使っている。
2. 現代らしい俗っぽさがマックスの演出が街のなかに映る
これは、東京の、池袋の、現代の演出だからだと思うけれど。なんて生々しい表現なんだろう。巨大LEDビジョンには、政治や戦争への皮肉を意味する映像やいわゆる罵倒の言葉なんかがデカデカと映し出され、マイクを通して池袋の夜に響く。
何回も、「タカラヅカならすみれコード(=宝塚歌劇的な表現を守るため「清く、正しく、美しく」なルール)でアウト〜」と頭の中で唱えてしまう。普段は、自分からは絶対に観ないタイプの演出だ。
それが、自分にとっては新鮮だった。脳みそにそのまま差し込まれたようだった。
3. 通行人も含めた、あらゆる人に開かれた無料の舞台
でも、それがこの街中でやるからいい。いやでも耳に入るビックカメラのCMの音や喫煙所から漏れてくるタバコの匂い。池袋の街のネオンや雑踏の中の公園は、間違っても快適な夢の世界としての劇場ではない。そういうそれも含めて、観てほしいってことなんだろうな。
ネットで反応を調べると、階級社会への皮肉をテーマにした作品を、この公園でやるのには、色々な意見もあったようだ。舞台を開くことの難しさなんだろう。
生の舞台を観るのは、本当に楽しい
私も今年、宝塚歌劇へ本気になるまでは、何年も観劇に行っていなかった。(高校生の時は演劇部だったにも関わらず……)
しかし、観ると楽しいのだ、本当に。空気からそのままダイレクトに伝わって来る熱量をもっと感じていたい。
東京芸術祭の総合ディレクターである宮城氏の言葉は、心の底からその通りだと思う。
いまの東京には、「劇場に行く楽しみを知っている人」と「それを一切知らない人」の2種類の人々がいます。
〔 東京芸術祭 総合ディレクター 宮城聰より 〕
この楽しみを知らないのは、人生を損しているなと個人的には思うくらいだ。だからこそ、こんなふうに開かれた舞台の存在は、本当に素晴らしい。
実際、多くの通行人がその迫力に圧倒され、足を止めていた。私の周りでも立ち見2時間、途中で離席する人は少なかったように思う。
私は偶然に出合ったこの舞台も。明日が千秋楽。ぜひ、多くの人と良い出合いがありますように。
さてさて、脳みそにカンフル剤を打ち込んだところで。明日からも、心地よく、いい感じに、頑張りましょう。
(とはいえ、明日も観劇なんですけどね〜)